共同体としてのPARTY(2007年5月:Body & Soul Live in Tokyo OPEN AIR 2007)

憧れは、時として本物を超えることがあるのかもしれない。
例えば。。。

「TDLは、ウォルト・ディズニー氏が構想していたディズニーランドのあり方にいちばん忠実だと、本国のスタッフからも言われています。フロリダのディズニーワールドのスタッフが“ウチの息子を連れて来たい”と言ってくれたほどです」

東京ディスニーランドの経営を担当する(株)オリエンタルランド代表取締役専務、福島氏の言葉である。ディズニーのキャラクターは勿論大変に強力であるが、テーマパークとしてはキャラクターだけで人を引き寄せ、キープ・拡大することは出来なかっただろう。

アメリカが本場のテーマパークを、日本に持ってきて日本人のメンタリティーにも合わせ、愛され続ける場所作りをしてきたのは(株)オリエンタルランドの手腕によるとされている。

本来のディズニーのキャラクターが持つストーリー性などは、ここ日本においては多少欠落している感は否めない。しかし、その代わりに徹底したホスピタリティ(おもてなし)の精神で、本場のスタッフも感激するほどのエンターテイメント性を持ったテーマパークとなったTDL。

1996年、Vinyl@New Yorkにてスタートした「Body&Soul」というパーティ。このクラブ無き後、実は現在ニューヨークにおいては、Body&Soulは休止している。
しかし、ここ極東の国トーキョーに場所を移して、Body&Soulは今も開催され続けている。

5月のよく晴れた日曜日、初の野外開催である、お台場のBody&Soulの会場へと向かう。午前10時過ぎにオープンしたパーティではすでに、メインDJのFrancois K. Danny Krivit、Joe Clausellがブースに揃っている。この3人が並んでいる姿をみると、なぜだか嬉しくなってしまう。

ダウンテンポなロイ・エアーズのトラックが流れる。太陽の下だからか、歌詞に「サンシャイン」という単語が含まれている曲を多くチョイスしている感じを受ける。HOUSE MUSICにはメッセージが存在する。

屋台のブースもたくさんあり、ビールを片手にあちこち覗いてみる。KICKSというお店のブースでフランソワも愛用のSABITのTシャツをGET! 良さげなレコードもたくさんあり、野外というのも忘れてつい夢中になって捜し&試聴しまくり、結局1万円以上も購入。。。レイヴでこんなに浪費するなんて、バカ買い癖はレコードを見たとたんに再発する。。。^^;

Spritual Lifeあたりのアフロトライバルなトラックから、Big Fun や808 STATE などのデトロイト、マンチェスタークラシックが流れている。こういった選曲が楽しめるのも、このB&Sならでは。

お昼近くになって、屋台でチキンケバブサンドイッチを見つけた。レイヴでのケバブは旨い!  一般チケット5千円に、プラス3千円のVIPチケットを購入していたので、混んで来た会場を抜けてVIPエリアにて一休みできたのは良かった。なんつってもあと8時間、先は長いのだ~ 

しかし、VIPエリアにはスペシャルなBARがあるというので期待していたのだが、メニューを見ると、一般エリアとの違いはシャンペン6000円と10000円があるだけ。ビール600円の上がいきなり6000円のシャンペンとは。。。ここはちょっとしたカクテルでも欲しいところだ。音も会場全体のレイアウトも良かっただけに、次回はドリンクメニューの更なる改善を願う。酒好きクラバーのささやかな希望として。

ジョーがクラシック曲をかけながら、トチ狂ったイコライジングをしている。普段だったら「アイソレーター切り過ぎで、原曲が台無しじゃん!」て思う所だが、野外だったせいか、過剰なエフェクトもテクノ的で、心地良く感じる。

午後1時過ぎ、Relight My fireがプレイされ、クラウドに火が着く!  みんなの大合唱が始まり、気づけば自分もその輪の中で踊り&熱唱していた。楽しそうに歌い踊っているお客さんの笑顔、笑顔、笑顔、、、ダンスミュージックという、人種、年齢、性別、言葉を超えたコミュニケーション。

ひょっとしたらこの瞬間、世界で一番愛と平和に溢れていたのは、ここお台場のB&Sの会場だったのかもしれない。

午後3時近く、VIPエリアのスイーツのお店でオレンジケーキを食べる。 プレイされていたBeat Goes On~♪が広がる青空の中へと溶けてゆくようだった。

トイレを待っている時に、後ろに並んでいる女の子達のおしゃべりが聞こえた。「こないだの渚よりずーっといいよね」「うん、雰囲気もいいし」

渚では数箇所にブースがあって、音が混じって聞こえてたらしい。今回は1ブースでスピーカー40台使用し、ハウスに限定したセッティングだったので、サウンドも心地よく響いたのではないだろうか。

その後drunqerさん達と会って、レッドブルのウォッカ割を片手に(→美味しかった!)テクノやハウスや出版について熱く語り合っているうちに、日が暮れてゆく。

踊っている人達は、もはや会場全体に広がっていた。ライティングがきらめき、シルベスターのOVER&OVERが流れ、ラストまではあっと言う間。。。アンコールを求める声に応えて、The Knight Of Jaguarで余韻を残しつつ終った。

元々、TR808の偶然の産物の様な、サウンドのコラージュみたいなHOUSEは、楽曲としての形を成していなかった。しかしそれらのトラックは、DJによってミックスされることによりのみ、音楽として成り立っていた。

当時、海の向こうのDJが何をやっているかも分からずに、ただ延々とループが繰り返される異常な音の詰まったTRAXやDANCE MANIAといったレーベルのレコードを買い求めていた私には、知る由もなかったが。

そしてハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源と融合してゆく。生の打楽器(コンガ、ボンゴ等)アフリカ系の楽器、リズムと融合し、ロック、クラッシック、ラテン音楽、ジャズ、レゲエを飲み込んで、楽曲としての形を成してゆき、それは全世界へと広まっていった。

初期のシカゴハウスのパーティでは、DJも客もゲイやマイノリティの人々が集う場であったという。ハウスは音楽面のみならず、文化的な面でも融合したカルチャーだったのだ。
その後月日が経過し、日本に渡ったハウスからは、本場のパーティが持っていたセクシーさや猥雑さといった魅力は、抜け落ちてしまったのかもしれない。

しかしそこには、純粋に音楽への憧れと愛情だけが残った。TDLに純粋なエンターテイメントが残ったように。ハウスという音楽を愛する日本のPARTY PEOPLEは、ドラッグ等のカルチャーを介入しない独自の共同体(コミュニティ)を作り上げた。このB&Sは、そのコミュニティが育てたパーティの一つの理想形であろう。

私が生まれる前から、JAZZは存在した。
私が物心つく前から、ROCKは存在した。
しかし私の人格形成期に、HOUSEは生まれた。

人生において、多くのものを得ることは不可能である。
だがあなたが、今好きな音を10年後も聞き続け、CDやレコードを購入し、20年後もパーティやライブに足を運んで、同時代の目撃者としてその音楽が変貌してゆく様子に接することが出来たなら・・・ 
それはあなたの人生において、幸運にもひとつの恩恵を受けることが出来たのだと言えよう。

HOPE IN YOUR SOUL (希望はあなたの魂の中に)
by LOLETTA HALLOWAY in RELIGHT MY FIRE